高村薫氏の団塊世代批判論
佐々木俊尚氏のtweetに高村薫氏の団塊世代批判論がとりあげられた。
私もその団塊世代として括られる一人であるが、いろいろと考えさせられた。しかし考えても考えても「批判」は心の的をそれていくような感じがしてならない。
「親となり、教師となり、社会をリードする立場になったとき、下の世代の子供たちに何を教えたのか。腹が立ちます。」と言われても、「教えること」「教わること」の関係に絶望していた者にはノンシャランだ。
「団塊世代の人たちはマルクス主義が正しいのか、自分で考えた気配がない。そして、70年代にすーっと学生運動をやめて、バブルの担い手になっていく。お金を転がすことを始めた。マネーゲームです。」
ああ、これはかなり当たっているか。しかし、世の中には「すーっと」だとか「だらだら」だとか関与したもの、しているものに対しての関係のとりようは様々にある。
象徴的に、典型として取り出してみても、その取り出し方法によって世界の見え方は変わるのだ。来し方を巡ると、徹底的な破壊だけが「崩壊」だけがよすがのような暮らしをだらだらと続けてきたような思いがする。
このインタビュー記事は、粗雑な感じがする。しかし、高村薫の書くものは、好きだ。
●時代を駆ける:高村薫/7 勉強してない団塊の世代
◇KAORU TAKAMURA
<新連載「新 冷血」にも登場する警視庁刑事、合田雄一郎。彼はかなりの本好きである>合田というのは、わたくしたちの世代が持っている、「大人とはこういうもの」という最低限の価値観を共有している、最後の世代かなと思っています。つまり、自分の生活範囲の外に広い大きな知の世界があって、できることなら本を読んだり人の話を聞いたりしながら知識や教養を身につけていきたいと考えている。1960年生まれくらいまでですかね、共有しているのは。
彼は朝早くて夜遅い仕事だし、本を読むのは電車に乗っている時間しかない。だから移動時間というのが貴重です。まさか携帯電話でゲームなんてしないでしょうから。
<高村さん自身、知ることが楽しいという>
高校時代は理系文系関係なく全教科やりましたし、大学(国際基督教大)はクラスが4~5人で、代返なんてない学校でしたから、4年間徹底的に勉強しましたね。すればするほど、自分がちっぽけな存在だとわかった。でも、そういった人間が築いてきた世界の厚みがあるということを無条件に認めて、知りたいと思いました。
ところが、上の世代は、先人たちが積み上げてきた知識の体系に対する視線がゼロでした。
<「上」とは、「団塊の世代」のことだ>
わたくしが高校生の時に、大学紛争がありました。ところが、彼らの訴えるスローガンを眺めていても、何に反対していたのかまったく分からない。中身がない。唱えているのはマルクス主義でした。そのことに理論的に違和感を持つのは大学生になってからですが、それ以前に、高校生として普通に新聞を読んでいて感じたのは、旧ソ連や中国が現に何をしてきたか分からないはずはないのに、ということです。スターリン体制があり、文化大革命があり、いったいどれだけの人を殺してきたか。そういう体制をなぜ日本の若者、大学生が信奉するのか、まったく分かりませんでした。それで直感として「あ、彼らは勉強していない」と思ったのです。
自分自身の言葉を持っていなかったのかもしれない。言葉にすれば疑問が生まれてくる。答えは一つなのか。ひょっとしたら別の答えはないのか。考えは広がっていくはずです。わたくしは別に資本主義が正しいとも思いませんが少なくとも自問はします。それが正しいのかずっと問いを立てて考えました。団塊世代の人たちはマルクス主義が正しいのか、自分で考えた気配がない。そして、70年代にすーっと学生運動をやめて、バブルの担い手になっていく。お金を転がすことを始めた。マネーゲームです。
<日本は戦後復興し、バブル期を迎え、それがはじけて、いま、社会は沈滞感に包まれている>
子供がみな、勉強する意味を見失っています。試験でいい点を取るなんて意味はなく、人生で何か問題が起きたときに、なぜそれが起きたのかを理解し、どうしたらいいのかを考えるために本を読んだり勉強したりするのですよね。それが完全に見えなくなっている。
やはり団塊の世代が悪いような気がする。彼らは、会社で、昼間は一生懸命働いてくれたのはいいとして、夜、飲み屋さんに繰り出して、酔っ払って、二日酔いで大変な思いをして……。でも、勉強しなかった。彼ら自身は自分の人生だから、好きにすればいいんですけど、親となり、教師となり、社会をリードする立場になったとき、下の世代の子供たちに何を教えたのか。腹が立ちます。
わたくしは、もう一度何かになれるとしたら、学生になりたい。自分の周りの知の山に、どんどんどんどん脳細胞は衰えているかもしれないけれど、「ひょっとしたら、いまなら登れるかも!」って思えてくるんです。
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聞き手・滝野隆浩/「時代を駆ける」は月~水曜日掲載です。
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卓 様
ほとんど更新もないこのサイトにお訪ね頂きありがとうございました。
ご感想、返す言葉もありませぬ。
68-70年の日本、世界に起こった学生・政治運動の総括とやらは未だ未完です。同世代の人たちの中からちらほらと総括めいた文書も出てきてはいますが、胸に響くものは少ないようです。
団塊世代といっても中身は多種多様で、当時、「稚拙な学生運動」に関わっていた人々もかなりの少人数でした。関わった人たちの胸奥には、日々の暮らしに足をとられながら、やり過ごしながらも総括できない胸苦しさは今も残っていると思います。
投稿: mochan | 2011.05.30 15:57
気になる話題のブログ記事見つけたので、書き込ませていただきます。
(一年以上も後なので、読んでいただけないかもしれないですが)
決して煽りではありませんが、高村氏の団塊世代批判は甘すぎだと思いますね。
私の思いつくところいくつか挙げても―
1 TVの拝金主義低レベルな思考パターンは、団塊世代の鏡であること
さらにTVじたい半ば団塊世代の慰みものであること
2 稚拙な学生運動の失敗以降、国に重大な過失があっても、他国と比べ
大規模デモが起こせなくなったこと
3 団塊世代の70年代以降、国の赤字が急増し、農業自給率も急落している
のに、その問題についての自覚が今一つ欠け、『自分達の力で経済復興を
遂げた』と勘違いしつづけていること
4 異常なバブル景気やその崩壊後の処理、現在では原発問題など
後世に負担ばかり残したのに、メディアは問題をスルーし続けてきたこと
これらは本当に重大な問題と思いますが、高村氏はじめ、あまりメディアで
はっきり言えないようですね。
(若い世代はこれらのことに、口に出さずとも気づいております)
では、読んでいただけたら幸いです。
4
投稿: 卓 | 2011.05.30 13:32
コメントありがとうございました。相変わらず手厳しいですな。
「責任」ですか。貴兄のおっしゃる「責任」とは世界・社会に対する「責任」と受け止めればいいですか?少し考えてみます。
さて、「声なき多くの合田」と言われても、わたくし、やっと「レディ・ジョーカー 上」で彼に出会ったばかりなので「声なき多くの合田」のこと詳しくわかりませぬ。
ともあれ、気が向いたら、またコメントを下さい。ぼやけた脳細胞にはとても刺激になります。
投稿: mochan | 2010.03.31 23:48
私には当然の批判に思える。むしろ共感する。責任というものがある。それを考えた時、それほどノンシャランには生きられなかったはずだ。居直るのは簡単だが、それでは声なき多くの合田との距離は増すだけだ。残り少ない日々、それでもまだ登れば見つかるものがあり、これを続けることだけはしっかりしたい。
投稿: 一平 | 2010.03.31 22:26