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2009年1月

2009.01.19

河谷史夫 「記者風伝」第3部 松本得三その1

本日の朝日新聞、河谷史夫の「記者風伝」は 、「松本得三(享年66歳)その1」である。支局長物語というか、リーマン左遷物語というか。読み物としてはまあまあか。

しかし、記事はそつなく纏めてあるが、インターネットか遺稿集からのつまみ食いのような感じがした。200字詰め5,6枚ではそうなるか。

目にうつるものがまことに美しいから―松本得三氏追想・遺稿集 (1982年) [古書] (-)松本 得三 (著)

「神のみわざは測りがたく ガンと闘う」 松本得三著
岩垂 弘「もの書きを目指す人々へ―わが体験的マスコミ論」

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2009.01.17

「純粋喜悦」 辰野隆

辰野隆(享年 76 歳)、昭和 22年の週刊朝日の対談相手に武林無想庵(享年82歳)がいる。その中の間中話、1921年フランス留学の折りの与太話である。

辰野:……そこで東洋から來たフランス文學研究者だというので興味を持つたのでしょう。いろいろ質問されましたよ。中にひょうきんな靑年文士がいましてネ、日本では接吻というものをわれわれ歐米人と同じように愛用するか、というんですよ。

武林:なかなか開けた質問ですね。あなたは何て答えました。

辰野:性欲の發動としての接吻は、日本にも古來あるんだけれども、愛情の表象としての接吻は、公には許されていないんだ、といいましたがね。

辰野:大勢の前で接吻することは、至純な愛情の發露ではあっても、日本ではたしなみを缺くはしたない行いとして非難される。だから、ぼくはいずれ日本へ歸るが、そのとき横濱か神戸か東京驛か、ぼくの母親とか妻子が迎えに來るだろう、そのときにぼくは抱擁もしなければ握手もしない、むろん接吻もしない。ただお互いにニコニコ笑うだけだ、それ以外旅路と留守居の無事息災を喜び合う心持は現せないんだ、互いの心を愛撫する純粋喜悦以外に表現がない。……

 辰野隆「忘れえぬことども」 1948.0925第1刷 P208ー209

いまでも大半の日本人は、「純粋喜悦」以外の表現を知らない。それにしても「純粋喜悦」という表現は凄い、なんという言葉か、と思う。

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2009.01.16

「いつ死んでもいい。でも今日でなくてもいい」佐野洋子

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 佐野洋子を知ったのは、昨年の朝日新聞に書評委員お薦め『今年の3点』に「シズコさん」を見つけたからだ。即「シズコさん」にいかず、「神も仏もありませぬ」に走った。第3回小林秀雄賞というタイトルにひかれたからだ。

 届いた本の帯には「そして、私は不機嫌なまま六十五歳になった」書かれていた。いいじゃないかと思った。

 更にあとがきには「私はもう人生おりたかった。おりてトボトボ歩きたかった。ほとんどの人間は天才 / でもエリートでもない。/ 私には体力的にも精神的にも衰えゆくという自覚しかないのだった。『死ぬまで現 / 役 !!』とスカートを広げてくるりと回った同じ年の友人もいた。『あたしゃ、もうい / い !!』と五十にしか見えないその友人を見ながら思っているのだった。」

 いい。いいと頷いた。デパートホソカワで「新潮」を買いたいと思った。そして、読み終えてから数日して「シズコさん」と「役にたたない日々」を注文した。

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76歳の老衰 記者風伝 信夫韓一郎

 1月13日朝日新聞夕刊で河谷史夫の「記者風伝3」が始まった。最初に取り上げられたのは信夫韓一郎
井上靖「城砦」のモデルだという。わずか2日分の断片では彼の人となりはよくわからない。時間をとって「城砦」は読んでみたい。

 1月15日の記事に信夫が76歳で死去したとあった。その死は「完全な『老衰』」であったそうだ。医者によると「全臓器の機能が限度いっぱいに働き続け、摩滅しきって自然に止まった」という。あやかりたいものである。

 しかし、老衰ということばから76歳で老衰はないだろうと思った。現在の医療事情から考えると老衰は80代、90代のイメージが濃い。まあ、とは思っても、ちょっと前までは60、70代でも老衰という診断は、そこらじゅうに転がっていた。

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2009.01.12

「ボク」と「ボクラ」 吉本隆明

 ずーっと気になっていたことに吉本隆明が発する「わたしたち」「ぼくら」は誰なのかという問いがあった。


つまり「ワタシ」とか「ボク」という一人称単数であることが、文章のなかである必要不可欠な意味を持つときには複数形を使わず、そうじゃない一般化したいい方をするときには複数形を使うようにしてきました。 「生涯現役」P86-87

「転位のための十篇」1952-53
「固有時との対話」1959

この二編の詩集には、夥しいほどの「ぼく」や「わたし」「わたしたち」がいる。

41jb3d8rgxl_sl500_aa240_「生涯現役 」(新書y) (新書) 吉本 隆明 (著), 今野 哲男

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2009.01.07

闘病記 腱板断裂3

 昨年の「腱板断裂」の最後の治療は、12月 27日だった。毎週土曜日一回の治療である。年明けは 1月 10日だ。二週間もあいた。まあ、治療自体は、痛み止めとステロイドが混合された注射を打つだけものなので、二週間もあいたといって、どうなるものかはよくわからない。ステロイドの効果がどう腱板断裂に影響するのかを、今度医師に聞けばよいことだ。

 しかし、痛みは、一日中、絶え間なく続く。世にペインクリニックなるものがあるそうだが、そうした処置をしてもらいたい。ああ、手術しかないのだろうな。

 痛みのある右手では、杯を持つ手が震える。米が研げぬ。食器洗いができぬ。痛みなしでは、珈琲を注げぬ。就寝中、寝返りが打てぬ。入浴中、髪を洗うことは、大変な作業である。体を洗うのにもため息が出る。そう云いながら、酒もタバコもはなさない。寝床の読書も止めようとしない。

 かくして、大仰なようだが、一日中、しかつめ顏でため息を吐きながら暮らしている。想像したまえ。

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